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メッセージ性のある唄を唄うシンガー・ソング・ライター。旅、人との出会い、恋愛、社会問題などの飾らない率直な詩、暖かく大地に根ざしたのびやかで艶っぽい歌声には定評がある。国内初め、南米、エチオピアの「マザーテレサの家」、中東のイスラム、養護施設、チェルノブイリなど国外にもツアーを展開。アジアを初め色んな国を旅しています。
名古屋市在住。学生時代よりコーラス・舞台演劇に携わる傍ら、クラシックの声楽を学ぶ。2001年よりジャズピアニスト稲垣つとむ氏に師事、ジャズ・ボサノヴァを学ぶ。
名古屋でのライブを中心に、神戸にて「Blue Moon
Trio」としても出演。ジャズ・ボサノヴァ・ラテン・ポップス等を歌う他、コンテンポラリーダンサーと即興ヴォイスパフォーマンスでの共演、朗読によるヒーリング、アートイベントプロデュース、アートマネジメントなど幅広い活動を展開。2011年7月より、東日本大震災復興支援アーツプロジェクトとして、ジャズ&コンテンポラリーダンス公演「ひと・みず・くうき・・・」に朗読で出演。また同プロジェクトのシリーズ企画、ミュージック&ダンスパフォーマンス「カワセミのアシタ」Vol.2「道草、迷子???」に歌手・パフォーマーとして出演。気軽にアートを楽しむことで災害復興支援をしよう、をコンセプトに、老若男女の新しいアートファンの発掘に尽力する。
1959年3月3日生まれ。1981年大阪大学文学部美学科卒。1987年、初めてのインド旅行。以来四半世紀間もっとも多くの時間をインドで過ごす。主に北インドの聖地ヴァラナシで、サントゥール・タブラ・パカーワジ・声楽などの北インド古典音楽を習う。インド各地で、サンスクリット語、ハタ・ヨーガ、ヴェーダーンタ思想にも親しむ。1992年より、北インドの古楽であるドゥルパド声楽を、ベナレス・ヒンドゥー大学のリトウィック・サンニャル教授より師事。声楽の第一の師として現在にいたるまで指導を受けている。1997年、天空オーケストラのイギリスツアーにヴォーカリストとして参加。近年はドゥルパド界ダーガル流派の声楽の巨匠ウスタッド・ジア・ファリドウッディーン・ダーガル、その甥のルドラ・ヴィーナーの演奏家ウスタッド・モヒ・バハウッディーン・ダーガル、グンデーチャ・ブラザーズの指導も時々仰ぐ。2008年2月、智慧の道のグル・ムージより「Shree」と言うサンスクリット名を授かる。 南インドの瞑想の聖地ティルヴァンナーマライにしばらく住む。毎年数ヶ月日本やアジアの国々を訪れ、ドゥルパド声楽ライブとヴォイス・ワークショップのツアーを行っていたが、2013年春より生活の中心を日本にシフト。 現在は、これまで学んできたことをベースにオリジナルな魂のうたを模索中。
演劇、バリ舞踊、舞踏を学び、1989年よりダンスグループ「花嵐」で活動。女性のカラダをテーマにした作品を創作、公演を行う。2011年以降花嵐を休止、ソロ活動を始める。ミュージシャンとの即興コラボレーションのほか、「竜の淵」「クモノイト」など物語を題材にした作品をつくる。
また、04年から視覚障害など、さまざまな障害をもった人、自身の出産後は子どもや母親を対象にした身体ほぐしやダンスワークショップの講師をつとめ、いろんな身体との出会いに刺激を受けている。 カラダをほぐすと、ココロも軽やかに。自分のカラダを再認識したり、カラダを通して人と出会ったり。カラダをテーマに新しい発見が生まれる場づくりに取り組んでいる。
中学1年の頃シンガーソングライターに憧れギターをはじめる。 1981年ハードロックバンド「URGENT」を結成。ベーシストとしてライブハウスを中心に活動をはじめる。1983年ロカビリーバンド「The Cash」結成。1984年サザンロックバンドでVocal&Bassを担当。 1986年エスノポップバンド「ナムチェバザール」結成。ドラマーの脱退とシタールの加入によりベースからタブラに転向。全国のライヴハウスを中心に活動する。1990年にスラッシュメタルバンド「ガーゴイル」のアルバムにゲスト参加。1991年に2枚のCDアルバム「サイバーサイコフォークダンス」、「ナムチェバザール」(日本クラウン)をリリース。劇団「惑星ピスタチオ」との共演も数多く行い、上岡演劇祭で音楽賞を受賞。バンド解散後インドへ渡り、コルカタにてPabitro Debnath氏にタブラを師事。帰国後インド古典音楽の演奏活動をはじめると同時に「天空オーケストラ」を結成。ドイツのICDIGITレーベルBRAIN FOOD MUSICよりファーストCDをリリース。細野晴臣氏との共演や奉納演奏、フジロックやグラストンベリー・フェスに出演する等、国内外で活動を展開し、トライバル・ロックというスタイルをクリエイトする。 1997年内藤忠行監督ハイビジョン作品「The Song of Africa」(ソニー)のサウンドトラックに参加。 約10年間の活動後、一時期バンドを脱退し静岡県へ移住。発酵食移動屋台三五八食堂をはじめる。 2010年アースデイ東京のステージで再び天空オーケストラのメンバーに復帰。 2011年1月~9月 大正アバロン1FにてAVALON CAFEを運営。ラビラビ、寿[kotobuki]、せいかつサーカス、テンジンチョーギャル、AUXなど多くのライヴや映画上映会、イベントを企画。 現在はソロ活動や櫛田寒平、COSMIXのサポートミュージシャンとしてぼちぼち活動中。 Re-Indigenization(再土着)をキーワードに、ゆるゆるシフト中。
北インドの竹の笛バーンスリー及び尺八製作、演奏。1952年東京生まれ。19歳のころから世界中を旅する。竹の笛を愛し、Nori Venugopalの名で北インドの竹の笛バーンスリーを製作。
1986年北インドの聖地ベナレスにて、インド古典音楽の芸術性と弦楽器シタールに魅せられ、スラワニ・ビスワス博士よりシタールの個人指導を受け始める。渡印を重ね北インド古典音楽を学び、日本やインドでの演奏活動を展開する。 2006年3月インド、ベナレスにて、打楽器タブラの巨匠アシューバブーのメモリアルコンサートに出演し、現地の新聞各紙で好評をうけた。 他のジャンルの音楽や舞踏家とのセッションもおこない、民族楽器を駆使したユニット「天空オーケストラ」のメンバーとして、1998年より、イギリスのグラストンバリーフェスティバルやフジロックフェスティバル、Rainbow2000等、野外フェスティバルに多数出演する。 2006年、舞踏家Kohshou Nanami 氏ととも に、フランスとドイツのツアーを行い、シタールと電子機器を用いた独自の現代音楽を提供し、各地で共演をおこなった。 1992年頃より 大型の弦楽器 スールバハール を手がける。 2010年 フィリピンの環境NPO:コルディリエラ・グリーン・ネットワーク主催のアートプロジェクト「芸術交流と新しい慰霊」に参加。 2013年2月、韓国済州島で開催された、国際舞踏フェスティバルのツアーに参加。 2010、2011年、2012年、34代続く家元、打楽器タブラの名手アリフ・カーン氏と、京都の寺院とギャラリー、京都府綾部市「いやびの祭」、及び岐阜県で行われたインド音楽祭サンギートメーラにて、6度共演する。
N.Y.でさまざまなダンスに出会いその後身体の構造に着目、骸骨の模型を眺める日々。リヨンビエンナーレ、 SPAFなどに招聘。多様な身体や年代にダンスワークショップをしている。 音楽家や他ジャンルの作家とのコラボレーションも数多く行なう。劇場以外のあらゆる空間でも踊ることを好む。 最近の舞台作品は竹ち代毬也との「懺悔」やWI’RE11「ひとがた」。 環境や身体の変化によって揺れる身体と心をカラダ1個で受け止める。
1975年、美学校小杉武久音楽教場に学び、胡弓(二胡)を手にし、即興演奏を始める。地歌を中華絃耀に師事。“East Bionic Symphonia”、“STEREOS”等に参画。1981年より自身のユニット“Ché-SHIZU
(シェシズ)”を始める。1983年頃より、Ché-SHIZUはオリジナル曲を中心に演奏するロックバンドとして活動。 現在、Ché-SHIZU、即興演奏グループ“打鈍(dadunr)”、“amabeys!”、ソロの演奏の他、様々な音楽家、舞踏家、パフォーマー等と国内外で共演している。即興表現によるMIXED MEDIA ARTのフェスティバル“PERSPECTIVE
EMOTION (透視的情動)”主宰。 即興表現ワークショップを各地で開催している。