即興ダンスをソロで行いながら山海塾の舞踏手でもあります岩下徹さんをお招きしてワークショップを開催します。
からだを動かすことが苦手だった岩下さんが、自分が感じていることと向き合い、表現に至るまでに体験した、踊ることで外へと他者へと繋がる世界。ワークショップではからだを動かすことが得意な人、苦手な人関係なく、自分の気持ちや感じていることを大切にしてゆきながら、ゆっくり丁寧にからだを動かし、触れ、「今」に向き合ってゆきます。技術的なものを用いて踊ったりするのではなく、感じているまま、からだを動かしてゆくことで新しい世界に関わっていく、どんな人でも自分のペースで体験できるワークショップです。
※おかげさまで定員となりました。
こころより感謝申し上げます。
「少しずつ自由になるために」
ー自己とむきあう・他者とかかわるー
◆日 時:2016年4月29日(祝・金)
11:00-16:30(お昼休憩、休憩時間を含む)
◆参加費:4500円 (定員20人)
◆会 場:クレオ大阪中央・セミナーホール
http://www.creo-osaka.or.jp/chuou/
◆アクセス:大阪市営地下鉄谷町線
「四天王寺前夕陽ケ丘駅」下車
1・2番出口から北東へ 徒歩約3分
◆持ち物:動きやすい服装
(スカート、半そで服、半ズボン不可)
飲み物、タオル。床はフローリングですので、
裸足でご参加いただけますが、足の冷えなど
気になる方は滑りにくい靴下やダンスシューズ
などのご準備をお願いいたします。
膝や肘のサポーターなど必要な方は
各自ご持参ください。
◆着替:更衣室がありませんので、パーテーションで
スペースを作る予定ですが、他収納スペースに
なっている小部屋、もしくはお手洗いでお着替え
をお願いすることになりそうです。もし着替が
必要でしたら早めの受付をどうぞよろしくお願い
いたします。
◆飲み物:最寄駅『四天王寺前夕陽ヶ丘』駅周辺には
コンビニがありません。クレオ大阪中央に
自動販売機はございますが、飲み物など購入
する場合、周辺でのコンビニ利用ができない
ためご注意ください。
昨年は初めて2時間のワークショップを開催させていただきましたが、今回は更にゆっくり時間をかけてご参加いただけます。
★画像クリックで「少しずつ自由になるために」へジャンプします
photo:野口英一
岩下徹 Iwashita Toru
舞踊家/即興ダンス、山海塾舞踏手。1957年東京生まれ。ソロ活動では〈交感(コミュニケーション)としての即興ダンス〉の可能性を追求。 82〜85年石井満隆ダンスワークショップで即興を学び、83年ソロ活動開始。かつて精神的危機から自分のからだを再確認することで立ち直ったという経験を原点とするソロダンスは、 等身大のからだひとつで立つことから始まり、場との交感から生まれる即興として踊られる。1988年より滋賀県/湖南病院(精神科)で医療の専門スタッフと共にダンスセラピーの試みを継続中。
―自己とむきあう―
「身体とはとても不自由なものです。決して思ったようには動かないし、一度型に嵌ると今度はそこからなかなか抜け出せません。なにものにも束縛されない、自由で解放された身体―それはまるで逃げ水のように遠のいてゆきます。しかしそれでも、「少しずつ自由になってゆくこと」はできると思うのです。ここでは、先ずダンス以前に立ち返って、誰しもが慣れ親しんでいる自らの身体を改めて感じることから始まります。いくつかのシンプルな動きを少しずつ変化させ反復させながら、できるだけ丁寧に内なる感覚を確かめてゆきます。何気ない日常的な動きでも、その速度や質感が変わるとかなり異なった感じになるでしょう。既知の何かを表現するためでなく、非ー知の何かが表出するために。何かの手段として身体を動かすことでなく、すべてに先んじて身体が動くこと。それが即興ダンスです。なによりも<いま・ここ>で<個><個>の身体が本当に感じていることを大切にして下さい。」
―他者とかかわる―
「「私は私」という果てしない同語反復から逃れようとすること。小さな自我(エゴ)の壁を跳び越え、「外」へ、「他者」へと着地しようとすること。それは決してやさしいことではないでしょう。ここでは、二者間や集団内での様々な設定の動きを試みますが、独りよがりな自己主張や自己陶酔も、また他人にすべてを任せて寄りかかることもできません。自己/他者―そのどちらにも偏ることなく、常に両者の間で危ういバランスを保ち続けなければなりません。その危うさから決して逃げ出そうとせず、その只中を懸命に生きようとすること。それが即興という生(ナマ)の行為です。それは、それ自体いつでも開かれてあろうとするため、絶えず自己の内から外へと出来し、外から内へと帰還する運動として、どこまでも停まることを知りません。もし人間が「血の詰まった唯の袋」として閉じられているならば、そして、その生そのものが矛盾であるならば、だからこそ<連帯>を求めるのでしょう。身体と身体との、<間>に生まれる共振、これこそがまったく対等で双方向の、<交感>(コミュニケイション)なのです。」
岩下 徹